INTERVIEW 04
Uターン編
地元の見え方が、
子どもの頃から変わった。
ー日々、どのような活動をされていますか?
ピラティスっていう体操を(神戸で)習ってまして。そのピラティスを趣味で(小値賀の)人に教えてるんですけども、小値賀には、そういう文化というか、教室もなかったので、ピラティス教室に興味がある方々から、お話が来るようになってきました。
最近は、役場さんからの依頼でピラティス教室を開いてみたり、個人的にもお話ししていただいた人にはお家でやったり、体育館でやったり、ピラティス教室も開いています。
私はミーハーだったので(笑)、他所の高校に行って、違う県外の大学に行って、就職も神戸と大阪でしていて、盆と正月は帰ってきたりしてたんですけども、それだけ外に出ていたので、島の人たちからは絶対帰ってこないだろうって思われてました。
なので、私が帰ってきた時は、まさか私が帰ってくるなんてっていうのはみんなから言われました。
驚かれましたけど、みんな嬉しい嬉しいと迎えてくれました。
20代から、それこそ70代80代近い人までできる体操なので、興味のある人、元気な人は来られてます。
元々小値賀で、父と母が商売をしていたので(島の人たちと)顔見知りではあったんですけど
本当にそれ以上に色んな人と知り合う機会ができて、お名前も覚えて、道で会って、声かける人たちが増えたなって思います。
色んな関わりができてくるので、ちょっとおすそ分けをいただいたりとか、話す内容も変わってきたりとか、色んなことを教えてもらったりとかもすることになったので、ピラティスやってて良かったなって思いました。
笛吹地区で70年近く続いている老舗のガソリンスタンド「小値賀SS」で仕事をしながら、地元消防団に入団し、地域のために活動する慎一郎さんと、仕事の合間に島民向けにピラティス教室をしている衆子さん。
今回は、神戸から夫婦で移住された、静岡出身の慎一郎さんと、小値賀出身の衆子さんに、それぞれ島への移住のきっかけや、移住後のお話を伺いました。
【有限会社こつじ「小値賀SS」/
ピラティス講師】
佐藤慎一郎さん・衆子さん
衆子さんは小値賀出身で、高校から島を離れてその後、就職。神戸で仕事をした際に、慎一郎さんと出会い、結婚。慎一郎さんが小値賀を気に入ったことがきっかけに、小値賀に移住を決意。その後、3人目のお子さんも生まれ、家族5人で暮らしています。今は衆子さんのご両親が営むガソリンスタンドで仕事をしながら、慎一郎さんは地元の消防団の活動に参加し、衆子さんは島民向けにピラティス教室を開催しています。
ー小値賀島の魅力はなんでしょうか?
たくさんあるんですけど、小値賀は物々交換の文化が本当に根付いてるって思います。
普通に都会じゃなくても。こうやって田舎に暮らしてたら物々交換はあると思うんですけど、何かキャッチボールをずっとしているイメージで。
この人によくしてもらったから、自分の畑でできた何かを返そうとか、魚が採れたから、あの人は魚が好きやったな(とあげる)。そういうキャッチボールずっと続けていってるような状態で、都会に住んでいる時は私と主人のお給料だけでしか、物を買って食べるっていうことができなかったんですけど、小値賀に住んでると、困ってるんですよとか、お腹減ってるんですって言うだけでも困っている人に手を差し伸べてくれるという文化があるります。
小値賀で学生をしてた時、子供の時は、テレビの中の世界に憧れて出て行って、確かに都会もすごく楽しくて、いろんな刺激がありました。
実際に今、主人が小値賀を気に入って帰ってくることになって、毎日忙しく過ごしてるんですけど、田舎の見え方がやっぱり子供の時と大人になってから違うんですよね。刺激が少ないから、やっぱり田舎に帰りたくないなってうっすら思ってたんですけど、その刺激を何とするかなんですけど、私は今、自然に、人らしく生きてるなというのがあって、都会だから人らしく生きられないとかじゃなくて、天気のことをいちいち気にしたり、風が強いなとか、今花が何咲いてるなとか、今は旬が美味しい魚がこれだよなとか、野菜がこれやなとか、本当に物事をシンプルに考えるようになって。
すると話題がすごくシンプルになってきて、子供とか家族とか、あと人と喋ることもシンプルになってくるんで、ちょっとのことでも笑いっていうか、笑顔になるような話題が増えてくるなって思いました。ただただ、花がきれいに咲いてたよだけでも楽しくその話ができるので、そういうところは、人間らしく、シンプルなことだなと感じるようになりました。
ーお二人とも福岡出身とのことですが、小値賀に移住したきっかけを教えていただけますか?奈津子さん:私の家族が3年前に、(小値賀で)お店をすることになったので、私はちょうど仕事をしてなかったのもあって、小値賀に来て手伝う形になりました。