そしたら、高齢者相手の熟年大学とか、子供相手の山学校とか、何か楽しいことばかりで。
あるいはキャンプとか、音楽フェスティバルとか何か自分の好きなことそして今までやってきたことが活かされる仕事だったので、すごく楽しい4年間を過ごさせてもらいました。
元々小値賀に帰ってきた目的の一つに地域に育ててもらった恩返しや、親父とお袋がお世話になったので、そのお礼返ししたいと思って帰ってきたんですけど、公民館長となると小値賀全体に恩返しができるいいことかもね、と思って引き受けました。
例えば米だったら標準の半分ぐらいの農薬を使うとか、そしたらある程度草を抑えられたり、有害なカメムシなどもちょっと抑えられるので、今のところ半分ぐらい(の農薬)で何とかやれてるかなという感じです。
しょうがないので、田植え足袋を履いて、田んぼにはいつくばって草取りを始めたんですけど、何せ田んぼは広いでしょう1日かかってもちょこっとしか進まないわけですよ1週間頑張りましたけど、音を上げました。無理だと思った。
無農薬有機農業というけど難しいんだなと、実感しました。
ー公民館長退任後も、地域のために活動していることはありますか?
最後の年に新型コロナウイルスが流行って、やっぱり感じたんですけど、やっぱりお年寄り相手の仕事とか、子供相手の仕事というのは急がないといけない。というかゆっくりしてられない、と思ったんですよね。
それはなんでかっていうと、お年寄りはもういつの間にか弱っていく、あるいは子供だっていつの間にか大きくなっていく。
これから私がここで小値賀で暮らす、生活するうえでやっぱ目を向けないといけないのは子供とお年寄りだなという風に思ったんですよね
ー小値賀へのUターンを考えている人へ、一言お願いします。
Uターンということは小値賀出身ということですよね。
小値賀に戻って来なされよぉ。小値賀楽しかって。懐かしかろがなぁ。することがいっぱいあるとって。忙しか。
でも面白かけん、是非、戻っち来なされ。まっちょります!
例えば町民レクレーションの時に応援団を作って、そして応援旗を振り回して太鼓を叩いて、賑やかにやりました。
他にも、お年寄りの方の見守りで「幸せの黄色い旗大作戦」といって、お年寄りが朝起きたら7時に玄関先に旗を立てる。それから夕方6時のキンコンカンがなると、旗を取り込むというそれを近所の人達が確認をして、あの人は今日元気に起きたねとか元気に片付けとるねっていう風に見守りをするというのを始めています。
ー公民館長退任後も、地域のために活動していることはありますか?
最後の年に新型コロナウイルスが流行って、やっぱり感じたんですけど、やっぱりお年寄り相手の仕事とか、子供相手の仕事というのは急がないといけない。というかゆっくりしてられない、と思ったんですよね。
それはなんでかっていうと、お年寄りはもういつの間にか弱っていく、あるいは子供だっていつの間にか大きくなっていく。
これから私がここで小値賀で暮らす、生活するうえでやっぱ目を向けないといけないのは子供とお年寄りだなという風に思ったんですよね
元々小値賀に帰ってきた目的の一つに地域に育ててもらった恩返しや、親父とお袋がお世話になったので、そのお礼返ししたいと思って帰ってきたんですけど、公民館長となると小値賀全体に恩返しができるいいことかもね、と思って引き受けました。
そしたら、高齢者相手の熟年大学とか、子供相手の山学校とか、何か楽しいことばかりで。
あるいはキャンプとか、音楽フェスティバルとか何か自分の好きなことそして今までやってきたことが活かされる仕事だったので、すごく楽しい4年間を過ごさせてもらいました。
ーUターン後の小値賀での生活はいかがですか?
偉そうに百姓になるぞと思って農業やったんですけど、何をやってもうまくいかない。うまくいかないだけではなくて、38年間、福岡で働いていた今までの自分の経験、キャリアが百姓には全く生かされないわけですよね。それに何となくもう、半年ぐらい経ってから虚しくなって再任用とかして現場に残ってた方が良かったねとか、後悔をちょっとし始めたんですよね。
そしたらちょうど1年目が終わる頃に小値賀町の公民館長にどうかという話があって、社会教育関係は初めてやるけど、まあ人間相手の仕事だから何とかなるかなと思って、お引き受けしました。
しょうがないので、田植え足袋を履いて、田んぼにはいつくばって草取りを始めたんですけど、何せ田んぼは広いでしょう1日かかってもちょこっとしか進まないわけですよ1週間頑張りましたけど、音を上げました。無理だと思った。
無農薬有機農業というけど難しいんだなと、実感しました。
百姓1年生失敗の連続。
例えば米だったら標準の半分ぐらいの農薬を使うとか、そしたらある程度草を抑えられたり、有害なカメムシなどもちょっと抑えられるので、今のところ半分ぐらい(の農薬)で何とかやれてるかなという感じです。
ー小値賀に戻ってきた理由を教えてください。
小値賀に帰ってきたのは、福岡にいる子供とか孫とか、あるいは兄弟とか、そのメンバーの食料生産をするというのが目的だったので、張り切って「よし、百姓になろう」という風に思っていた。
しかも、子供たち孫たちが食べるので、やっぱ安心安全な食料生産でないとダメだなと思って、いわゆる無農薬有機農業でやろう!と。
最初に帰ってきてすぐコメ作りしたんですけど、肥料も化学肥料をできるだけ減らして代わりに堆肥を入れてとか、除草剤は使わないようにとかやってたんですけど、気が付いたら草だらけになってですね。「ええっ?」って。
例えばお正月とか上座に婆ちゃんが座ると、その脇は私なんですよね。やっぱ言葉で直接言われたことはないんですけど、長男とか跡取りとかそんな風に育ってきたのではないかなと思う。だからもう帰るのが当たり前みたいなように思っていた。
ー昔から小値賀に戻ろうという想いはあった?
千明さん:自分の意思で帰ってきたわけですけど、もう子供の頃から帰ってくるように育てられたかなというのが実感ですね。ちっちゃい頃から牛とか扱いきれないのに、畑を耕すことを教えられていた。
【農家/民泊まめたん】
山本千明さん・麻理子さん
高校卒業後に島を出た千明さんは、福岡で仕事をしている時に麻理子さんと出会い結婚。山本家の長男としていずれは島に戻ってくるつもりでいた千明さんは、定年退職を機にUターン。農業をしながら、公民館長や地区会長としてさまざまな企画を考えて運営したり、子供達のために放課後児童クラブや離島留学、太鼓の指導なども積極的に行っています。福岡出身の麻理子さんは千明さんの2年後、定年退職後に小値賀にIターン。小学校の相談員放課後児童クラブのボランティア、離島留学のアドバイザーをしながら、民泊まめたんとして受け入れをしています。
定年退職を機に小値賀島にUターンで戻ってきた千明さんと、その二年後に定年退職で島にIターンで移住した麻理子さん。農業をしながら、公民館長や地区会長を務めたり、放課後児童クラブや離島留学のサポートなど地域のためにさまざまな活動をしています。また6年程前から民泊の受け入れもしています。
今回は、小値賀出身の千明さんと福岡出身の麻理子さんに、それぞれ移住のきっかけと移住後の暮らしや民泊のお話を伺いました。
INTERVIEW 06
定年退職後
Uターン編
百姓1年目、失敗の連続
母が早く亡くなり、父が亡くなって、やっぱり私達が親にしてもらったことをするべきじゃないか、ということを二人で話して、まず主人が2年先に小値賀に帰ったんですけど、その2年間の(内に)もう自分は行くんだとそこで何か決意したんで、主人が帰った時点で決意したっていう感じでしたね。
ただ民泊(のお客さん)が来られる出会うまでの緊張感はもう始めた時と全く変わらないので、ドキドキして。
でもいったん出会ってしまうとあっ大丈夫そうだな、なんとか通じるなって度胸もついただろうし楽しいです。
(スタッフ)今後も続けていきたい?
麻理子さん:そうですね、続けます!
千明さん:番頭頑張ります!
今まで海外といえば私にとっての海外は小値賀だったので、
海外行ったことある?って聞かれたら
「うん!小値賀に毎年行ってるよ」って言ってたけど
ちょっと宿泊された方が「スペインにおいでね」とか「スイスにおいでね」とか、イギリスからメールが来たりとかして何かすごく行きたくなるし、世界がなんか近くなった。
なんていう感じで自分の気持ちが凄く広くなったかな。
言葉は繋がりあうための大事なアイテムだから、ある程度は知っておかないといけないけれども、
あとはもう繋がりたいっていうかしゃべりたいという気持ちがあればどうにでもなるなっていう気持ちでいて。
...すごくなんかこう...「ちょっとグローバルな私すごくない?」って(笑)
ー小値賀へ移住したときどんな気持ちでしたか?
麻理子さん:元々島に住むっていうのは考えてなかったんですね、結婚した時から。さっき(千明さんの)話を聞いて『家を建てたけど仮の住まい』っていう風には自分は思ってなかったんですけど、
うになったし、その会はかなり小値賀での生活の楽しさを十分に教えてもらえたな、分け与えてもらえたなと思う。
お客さまも1日でも泊まられたらもうすごく凄く何か深い仲になるというか。特に昨年末ぐらいから海外から来られている方がちょこちょこいらっしゃってて、まだまだ少しですけど、言葉は違っても人間みんな同じだなっていう実感が一番大きいですね。
麻理子さん:最初「修学旅行生を受け入れるのに民泊の件数が足りないからしませんか?」って言われて入ったんですけど、入ったことによって、民泊仲間っていう同級生ではないものの、ものすごく深い繋がりの方達と料理を持ち寄って色々勉強会やおしゃべり会みたいな情報交換会もできるよ
やっぱりやりながらね楽しいですたいね。準備っていうのはね。
主に私が関わるのは“体験”。芋を掘ってもらったり、何か野菜の収穫してもらったり、あるいは魚釣り。それはそれでまた楽しい。あとは夜一緒に飲みながら交流するというかそんなのは基本楽しいので、やっぱりやって良かったなと思う。
ー民泊についても教えてください
千明さん:こっち(麻理子さん)が料理長でしょう。それと女将。私は番頭になってるんですけど、例えば準備するので掃除を徹底してやっている。
ー民泊についても教えてください
千明さん:こっち(麻理子さん)が料理長でしょう。それと女将。私は番頭になってるんですけど、例えば準備するので掃除を徹底してやっている。
やっぱりやりながらね楽しいですたいね。準備っていうのはね。
主に私が関わるのは“体験”。芋を掘ってもらったり、何か野菜の収穫してもらったり、あるいは魚釣り。それはそれでまた楽しい。あとは夜一緒に飲みながら交流するというかそんなのは基本楽しいので、やっぱりやって良かったなと思う。
たまに福岡に行ってすぐこっちに帰ってくるんですけど、食べ物が全然違うんですね。
福岡に行ってる時にやっぱり野菜が不足するな、と。あと、旬のものを食べてないな、とか何かそういうことを感じるようになって、この5年間で、野菜中心の生活、お魚中心の生活が自分の基本になったんだなと。あんまり最初の頃は思ってなかったんですけど、たまに洒落た料理食べるのもいいなと、か。
特に今思っているのは、旬のものを必死で消費することに一生懸命なんですけど、今採れてないとか、今ないものは食べないんですよね。
冬は茄子は食べないとか。どんなにスーパーに並んでいても、いや今茄子じゃないやろ!っていう。ピーマンだって今は凄くめっちゃ高い。旬じゃないものは物凄く高い。そうだよねって。やっぱりこの日本で採れる旬のものを食べて生活すればいいのになって。それは都会ではできないんだけど、
食べ物についてはすごく何か人間らしい生活ができている。
前聞いたことのある言葉で『身土不二』っていう、体と土は2つはない、生まれ育ったところの食べ物が一番いいっていうのを福岡にいる時に聞いていたことが、いま「なるほどね」って腑に落ちた。
私は福岡生まれだけど、今小値賀での生活の中で食べる食べ物が一番自分に合ってるのかなってそこは大きな変化だなって思いますね。
ー小値賀に移住してみて気づいたことや変わったことはありますか?
麻理子さん:丸5年たって、たまに福岡に行ってすぐこっちに帰ってくるんですけど、食べ物が全然違うんですね。
だから不安っていうことじゃなくて、やっぱりその決意をするまでが色々もうちょっと再任用で仕事を続けようかなとか、
孫はたくさんいるし、お母さんおってもらわないと困るよとか娘に言われたりしたけれども、小値賀に行かなくちゃっていう感じで来ました。
ー小値賀へ移住したときどんな気持ちでしたか?
麻理子さん:元々島に住むっていうのは考えてなかったんですね、結婚した時から。さっき(千明さんの)話を聞いて『家を建てたけど仮の住まい』っていう風には自分は思ってなかったんですけど、
母が早く亡くなり、父が亡くなって、やっぱり私達が親にしてもらったことをするべきじゃないか、ということを二人で話して、まず主人が2年先に小値賀に帰ったんですけど、その2年間の(内に)もう自分は行くんだとそこで何か決意したんで、主人が帰った時点で決意したっていう感じでしたね。
INTERVIEW 06
第二の人生
島暮らし編
民泊を初めたら世界が近くなった
自分の心が広くなった
麻理子さん:最初「修学旅行生を受け入れるのに民泊の件数が足りないからしませんか?」って言われて入ったんですけど、入ったことによって、民泊仲間っていう同級生ではないものの、ものすごく深い繋がりの方達と料理を持ち寄って色々勉強会やおしゃべり会みたいな情報交換会もできるようになったし、その会はかなり小値賀での生活の楽しさを十分に教えてもらえたな、分け与えてもらえたなと思う。
お客さまも1日でも泊まられたらもうすごく凄く何か深い仲になるというか。特に昨年末ぐらいから海外から来られている方がちょこちょこいらっしゃってて、まだまだ少しですけど、言葉は違っても人間みんな同じだなっていう実感が一番大きいですね。
ー小値賀に移住してみて気づいたことや変わったことはありますか?
麻理子さん:丸5年たって、たまに福岡に行ってすぐこっちに帰ってくるんですけど、食べ物が全然違うんですね。
福岡に行ってる時にやっぱり野菜が不足するな、と。あと、旬のものを食べてないな、とか何かそういうことを感じるようになって、この5年間で、野菜中心の生活、お魚中心の生活が自分の基本になったんだなと。あんまり最初の頃は思ってなかったんですけど、たまに洒落た料理食べるのもいいなとか。
いつもニコニコ笑顔の千明さんですが、島に戻ってきて気合を入れて取り組んだ百姓の仕事は想像以上に難しく、今までの自分の経験やキャリアが生かされないと心が折れそうになった時もあったそうです。そんな時に公民館長をお願いされ、地域に育ててもらった恩返しをしたい。という想いで快く受け入れたところ、とてもやりがいのある内容で、楽しく仕事ができ、その後も地域のためにさまざまな活動に積極的に参加するきっかけになったそうです。
もともと島に住むことは考えていなかったという麻理子さんですが、今では島の生活にも慣れ、楽しみも見つかり、島で育てている野菜の美味しさを実感している麻理子さん。旬の野菜を食べることが多く、島の野菜が自分には合っていて、食べ物については人間らしい生活ができているなぁと感じているそうです。
数年前から始めた民泊は国内だけでなく海外からのお客様も増えているので、交流が楽しいし、言葉は違っても人間みな同じだと感じるそうで、民泊を始めて自分の気持ちがすごく広くなったとのことで、これからも続けたいとおっしゃっていました。
山本さん夫婦のように、できるだけ自給自足をしながら、島のためにできることをしようという思いで民泊を始め、観光客を快く受け入れてくれる方がいるからこそ、島の魅力が島外の方にも伝わるんだと思います。これからもいろんな方に民泊を体験してもらえる機会が増えることを願います。
【民泊まめたん】
おぢかアイランドツーリズム(民泊事務局)
https://ojikajima.jp/ojika/ojika_stay/2379.html
☎︎ 0959-56-2646(9:00~18:00)
年中無休
(※民泊受け入れは民家さんの都合によります)